姉妹提携都市 密陽市(大韓民国)
盟約締結年月日  1994年(平成6年)12月1日   
沿   革  朝鮮高宗32年(1895年) 密陽郡
       1989年1月1日     密陽市・郡分離
       1995年1月1日     密陽市(統合)

位   置 
 密陽市は、大韓民国慶尚南道の東北部に位置する内陸都市で、釜山と大邱の中間地点にあり、釜山から西へ車で約1時間半、面積799.01km2、人口110,458人(45,479世帯)(2009年在)の田園都市である。面積は本市の約10倍、人口は約1.4倍を有している。京釜線鉄道が南北に貫通し、大都市との交通は大変便利で、また山紫水明の自然景観にも恵まれ、年間百万人以上の観光客が訪れ、四季折々の自然美は壮観で、伝統ある閑静なまちである。

産   業   
 産業は農業が特に盛んで耕地面積8,385ha(14,702戸)を有し、豊かな耕地を利用した野菜農園を中心に、稲作の他ハウス栽培が盛んで、キュウリ・ミニトマト・エゴマ・紅色唐辛子等を栽培している。果樹特産品としは,中でもナツメが有名で、良質の糖分が豊富で、薬効も豊富であることから、お茶やドリンク類に年間を通じて加工供給されている。また、エゴマは四季を通じて新鮮な野菜の供給ができ、健康食品に多く利用し、輸出されている。
リンゴは果汁糖分が多く、甘さでは全国一の名産品になっている。
 
歴   史 
 韓国と日本、特に本市との関係で重要なことは、「朝鮮人街道」が今なお現存していることで、街道は野洲町小篠原から彦根市鳥居本に至り、市内では中仙道から八幡旧市街地方面にバイパスのように分岐し入り組んでいる。
 1592年(文禄元年)豊臣秀吉の朝鮮出兵により、日本との国交が断絶したが、1607年(慶長12年)徳川政権が、対馬の宗氏の尽力により国交を回復し、以来使節団が来日することになる。道中にある本願寺八幡別院(金台寺)は、豊臣秀次が八幡に城下町を開いたとき、安土から移築された大寺院(浄土真宗)で、宗氏の案内で善隣の友好交流を掲げて来日した「朝鮮通信使」一行が往復途上に休息した。更に「通信使宿割図」資料からも、京街道筋の町民あげてもてなし、出迎えを行っている。通信使一行は、慶長12年から文化8年の間に延べ12回来日し、長崎の対馬から江戸まで民俗楽器を吹き鳴らし行列。その当時の様子を知る絵巻物や屏風などの遺品や記録が多く残されている。その内10回、本市を通過、休憩している。一方、密陽市においては、朝鮮王朝壬辰乱の時、国を救ったとされる義僧将「西山、泗溟騎虚」の三大禅師を祭った表忠寺が有名である。また博物館には、朝鮮通信使誕生の先駆的役割を果たした泗溟(松雲)大師の遺品約三百余点が保存されており、その中には1604年に同大師が講和正使として日本を訪れた時の様子を、緑色の絹地の布で描いた行列図(八曲屏風)が展示されている。その他天然記念物として「氷の谷」で有名である。

市民団体の提携状況  
近江八幡ライオンズクラブ  = 大邱中央ライオンズクラブ (1969年 3月15日)           
近江八幡ロータリークラブ  = 清洲ロータリークラブ   (1969年10月 3日)           
近江八幡ワイズメンズクラブ = 慶州ワイズメンズクラブ  (1981年 2月11日)           
近 江 八 幡 青 年 会 議 所 = 釜 山 大 洋 青 年 会 議 所(1982年11月19日)           
びわ湖八幡ロータリークラブ = 釜山大洋ロータリークラブ (1990年10月10日)

提携経過  
1993年(平成 5年) 日韓親善協会湖東支部から交流紹介があり、相互の市長親書の交換及び市関係者の相互訪問が行われた(5月)。
1994年(平成 6年) 本市から11名の使節団を派遣し、密陽郡庁にて調印式が行われ、同月本市においても密陽郡関係者を迎え、記念式典を行った(12月)。
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